水を飲む
2024
仮想の存在であるVTuberが、飲めないはずの水を飲む。
バーチャルユーチューバー(VTuber)は仮想・フィクションの存在として設定に基づき活動するべきである。しかし、
配信中に「水を飲む」など現実に干渉する行動を取ることがある。水の循環は、VTuberが地続きの実世界に存在する可能性を想起させる。
本作品ではVTuberの発言に反応して水をカップに注ぐ動作を行い、
視聴者はそれが現実かフィクションかを鑑賞することで、フィクションへの認識や視聴態度を自覚する。
Progress
2024 Video
恣意性を排除して撮影した素材を元に制作した映像作品。
私は以前から映像制作における表現の選択に向き合ってきた。それを撮る理由からそこで撮る理由、線の太さや長さ、全てに意味を問い制作したいと考えていた。
その一環で、どのようにすれば恣意性を排除した素材を用意できるか、そしてその素材を用いてどれだけ音楽の体験をビジュアライザー的に拡張できるかに向き合った作品。
About:Person,Persona,Character,Viewer
2024 Installation
バーチャルユーチューバー(VTuber)が持つ3つの身体の構造と、視聴者の期待を追体験するためのインスタレーション。
透明のアクリルスタンドを撮影しているスマートフォンとその背後に配置された背を向けたモニター。
引退したVTuberの既存のアクリルスタンドを型どった透明のアクリルスタンドを、スマートフォンが撮影する。
スマートフォンは我々のペルソナと表層を形作るVTuberのアイドル的消費を示唆する。透明のアクリルスタンドは引退し、
パーソンが不在となり与えられたキャラクタとしての形だけが残ったVTuberを表す。背を向けたモニターはVTuberを見る手段のひとつである。
背を向けているのは引退してしまったことを示す。展示では一本線が引かれており、立ち入ってはいけないことを示す。
しかし、その線を超えずとも覗けばモニタの内容を知ることはできる。
背を向けたモニターに表示されているのは引退したVTuberが引退後に演者であったことを示唆したSNSのアカウントである。
self-portrait.aep
2024
インターネットにある「写ってしまった自分」を集めて作成したコラージュとそのプロジェクトファイル。
私は、作品や公共イベントの記録が半永久的にアーカイブする意義を説く一方で、イベントで無意識に記録される自身の姿に抵抗を感じる矛盾を示す。
Adobe AfterEffectsで作成されたコラージュは、プロジェクトファイルから再現可能だが、画像自体はデータに含まれないため、ファイル名と解像度に基づいたインターネット上での検索が必要である。
データや投稿が削除された後は再現不可能となる。
Island of nirya
2024 VJ
site : Island of nirya
2024年9月22日にForestlimit(東京都、渋谷区、幡ヶ谷)で行われたイベント「ニルヤの島」にてVJパフォーマンスを行った。
今回のイベントのテーマとして「不在」が提示されていた。
ステートメントで提示されているような、音楽における存在しないゆらぎや残響の美学である、リバーブやディレイなどのエフェクトはビジュアルにおいても呼応するような仕組みのエフェクトがある。
そういったオーディオにおける不在の美学を映像表現にて表現した。
以下に制作した素材の例を示す:
Googleマップで京都市・舞鶴市・呉市の墓地を表示し、スクリーンショットを撮影し、上からなぞる形で示した。道を線で、墓地を塗りつぶして示した。
残像はディレイのビジュアル化である。一定時間経つと音量が下がるそのエフェクトと、一定時間経つと透明度が下がる残像のエフェクトは、相互にビジュアルとオーディオで共通してると言える。
疑似透過液晶
2018 (当時中学2年)
ディスプレイを反射させて虚構存在を現実に浮かび上がらせる、簡単な工作。
虚構存在が「そこにいる」と感じるにはどうしたら良いだろう?動くキャラクターを実体化するためにはどうしたら良いだろう?
ひと手間が加われば、単にディスプレイに表示されている以上の実在感を得られるであろうと考えた6年前の私はアクリル板を使った工作をした。
ディスプレイを横に倒し、斜め45度に半透過のフィルムを貼ったアクリル板を設置すると、虚構のキャラクターが浮かび上がる。