2024

論考:仮想の身体は現実の身体の外見の選択不可能性を代替しうるか?

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仮想の身体は、自らの手によって想像力の限り自由に実装することができる。 こういった自由な仮想の身体は、現実における身体の選択不可能性を代替し、各個人の心に応答する真の身体として成立するのか? VTuberやメタバースを中心に、インターネットにおける欲望と文化を手がかりに仮想の身体について考察する論考。

以下本文

1.はじめに
 昨今、ハードウェアやソフトウェアの技術的進化や低価格化に伴い、コンピューターグラフィックスを用いた仮想空間上で自らアバターを操作するメタバースへの参加や、アニメキャラクターのような見た目のイラストを、演者がフェイストラッキングで追従させアバターとして用い、インターネット上で動画配信をする、バーチャルユーチューバー(以下、VTuber)にを演じるのが容易になった。メタバースやVTuberでは、基本的に利用者や配信者自らが望んでアバターを選択することになる。こういった仮想の身体は、現実におけるおしゃれと同じように、メタバースやVTuberにおいても自ら選択することを求められる。しかし、仮想の身体では、現実において自ら選択できない要素を能動的に選択することができる。本稿では、仮想の身体を実装することができる2つの手段を中心に比較検討し、仮想の身体は現実の外見不可能性を代替しうるかについての考察を試みる。

2.VRChatとVTuberにおける能動的な身体選択
2.1メタバースとVTuberの違い
 まずメタバースとVTuberの違いについて述べる。これらは仮想の身体をコンピューター上に実装することは共通しているが、仮想空間を指す言葉であるメタバースとインターネット上での動画配信形態を指すVTuberとでは根本的に大きく異なる。また、その他いくつかアバターを手に入れるまでの手段に異なる点が多数あるため、外見の選択可能性について言及する前に、それぞれどういった性質を持っているか明示する。また、本稿で取り扱うメタバースとVTuberの定義について明確にする。本稿においてメタバースとは、現実とは異なるもう一つの世界としての仮想現実と捉える。(2023 時岡)また、広義の3Dアバターを用いたソーシャルVRプラットフォームは多く存在するが、メタバース外見・アバターであるところの3Dモデルの売買のコミュニティが最も活発であるため、VRChatを主に取り扱う。また、本稿におけるVTuberとは、アニメルックなイラストのアバターを用いた配信者と捉えて取り扱う。VTuberの形態は多義的であり、Live2Dを用いたフェイストラッキング以外にも、3DアバターソーシャルVRプラットフォームのような、配信者自身が身体の動きをトラッキングし、3Dモデルを操作し、そのモデルと仮想空間をまるで第三者がカメラで映し出しているかのように配信する形態もある。本稿では主にイラストのアバターを用いて配信活動をする形態をVTuberとして扱う。

2.2仮想空間での外見の獲得
 こうしたVRChatやVTuberにおいて3DモデルやLive2Dのモデルなど架空の身体を手に入れる手段は大きく2つある。①自作するか②購入するかである。前者の自作についてはその通り、イラストを描いたりモデリングをしてアバターを制作することを指す。アバターの利用者が自ら制作するため、自らが思い描いた姿形をそのままアバターとして着飾ることになる。こういった理想の姿形に自らを近付けようとする行為は、広義の創作活動として捉えることができる。例えば、こうして描いたり3Dモデリングし、バーチャルな空間に宿した身体を、自ら二次創作的にコスプレする者もいる。自らの理想の姿を仮想に実装した彼(女)らがどういった意図で二面的な活動をするのかは、形として明確に残る形で語ることはなく、狙いは定かではないため、本稿では取り扱わないが、興味深い事例だろう。また、制作したアバターを販売しない限り、唯一無二のアイデンティティを獲得することが出来る。後者の購入もその通り、アバターをBOOTHなどのECサービスで購入することである(プレタポルテ的アバター)。また、作家に制作を依頼することも購入に含むことができる(オートクチュール的アバター)。VRChatにおいては購入したアバターをベースに髪型を変更したり、別に購入したアイテムを身に着けることで、現実と同じようにおしゃれを楽しむことが出来る。VTuberにおいては、基本になるアバターをまずイラストレーターに製作を依頼し、その他の仮想の衣類を身に着けたい場合は、再度イラストレーターに製作を依頼するという手順を踏むことで、仮想の身体を着替える事ができる。
 まず、VRChat文化圏にて仮想の身体が販売されていることから、何らかの共通の理想像への変身願望を叶えたい人が多数いると推察できる。これは現実におけるアイドルのような、身体的特徴の理想を自らの身体に反映させたい人が多数いると言える。現実では生物学的な性別や身体的特徴が原因で叶わない流行を反映させる方法として、仮想の身体は有用だと言えるだろう。また、すぐに見た目を切り替えることが出来るのも仮想の身体の魅力であり、現実の身体と大きく異なる点である。現実ではTPOの問題などにより不可能な装いが出来る上、さらに仮想空間上での文化圏に合わせた装いをすぐ選択することができるのは大きな魅力である。
 また、VTuberの中には、声をボイスチェンジャーで女性的な声に変換し、キッチュな衣装を纏い、若くてかわいい女の子の遊び心を模倣する男性たちがいる。彼らはバーチャル美少女受肉(バ美肉)と呼ばれる。リュドミラ・ブレディキナによると、バ美肉は、技術、空間、運動、コンテンツ、ファッション、その他の要素を利用することで、情報提供者たちはカワイイキャラクターになり、それぞれが「理想の自己」や「魂」として生きている。バ美肉たちは、キャラクターのアバターを利用することにより、ジェンダーイデオロギーや日本の社会経済的・文化的に抑圧された感情を具体化することができる。また、それと同時に、声や姿で美少女を装う、つまり美少女に変身することは、一時的にヘゲモニックなジェンダー規範から距離を置くことができる。そのため、バ美肉は仮想の身体は現実の外見不可能性を代替すると同時に、心を休める場として機能しているのだ。

2.3 アイデンティと接続される著作権
 その一方、仮想の身体の問題として顕著であるのが著作権の問題である。ここで取り扱った仮想の身体の多くはキャラクターとしてデザインされたものになり、著作物として分類される。それは、現実のファッションと同じように、大きな流行や廃りの波と小さな意匠に分類できるが、基盤となるキャラクターのデザインが類似している際は、大きく問題となることもある。こうしたアイデンティともなりうる仮想の身体の特徴が、誰かにデザインされたものであり、それが類似した場合において取り沙汰される環境にあるため、現実の身体における特徴よりも、より類似しない、他に類を見ないデザインや意匠を実装することが求められる。実際に取り沙汰されがちである要素としては、髪の色を中心としたキャラクターの基本色、目の色、肌の色、アクセサリーのサイズなどが合致している場合で、どれもキャラクターデザインにおける、いわば「定番」のような要素の集合であるが、それらをアイデンティとして所持した時に、他者のキャラクターデザインと競合したような感覚に陥り、アイデンティが脅かされた感覚になる者もいるだろう。実際にこういった形で、意匠の引用が不明瞭でありながら、自身のアイデンティや、心の部分と密接にキャラクターデザインがなされていると、本人のみならず関わった人物の多くが損を被ることになるだろう。それ故、仮想の身体の実装は手軽である点で魅力的である一方、姿形を選ぶ自由度も高く、競合することも多いため、それを選んだ理由や出自について明確に説明できる責任が発生してしまう。これは、直感的に心に応じた身体を自由に選択できるという仮想空間でのメリットを大きく損なうことになる。

2.4 アイコンと仮想の身体
 こういったメタバースやVTuberにおける仮想の身体の実装は、インターネットにおける文化的背景の影響が認められるだろう。説明はもはや不要なほど普及しているが、SNSを始めとした、インターネットでの各種サービスにおけるアカウントにはアイコンが設定できる場合が多い。これは、自ら仮想の身体を選択することのように選択される。アーティスト写真からアニメ作品に登場するキャラクター、自ら描いたイラスト、動物に無機物とその選択の自由度の高さは、仮想の身体の選択の自由度を論じる上で無視できないだろう。この際のアイコン選択の動機は様々であるが、特にキャラクターを選択する際、性別と同期しないキャラクターをアイコンに設定する事例が多く見受けられる。それ故、仮想の身体の選択においては、むしろ自らの現実の姿のコピーである以外の心体の選択をする事例が多く、そういった選択にそもそも抵抗がないのは自明だろう。性別はもちろんのこと、人以外のアバターへの抵抗もないインターネットのアイコンの自己説明性による文化的土壌をもとに論じることも可能だろう。

2.5 福祉と仮想外見の選択
 ここまで述べた仮想身体にまつわる魅力は、言うなれば恵まれた一部の人のみが享受している側面でもある。序盤に「ハードウェアやソフトウェアが低価格化した」と述べたが、VRChatやフェイストラッキングに使用されるLive3Dなどのソフトウェアを不自由なく動作させるコンピューターを用意するためには最低でも10万円前後必要である。それに加え、安定して動作させるための電気代など、主に金銭面での参入障壁が立ちはだかる。またそれと同時に、自己実現の場として使うとしても、あくまでも仮想空間上での実装であるため、現実の生活やコミュニケーションの全てを代替することは出来ない。ゆえに、時間的な余裕が必要である上、VRChatにおいては同じ志向や悩みをもった者同士での「ケア」の構造ができる仕組みになってしまう傾向にあり、VTuberにおいては一方的なコミュニケーションが多くの時間を占めることになる。また、比較的一般化したとはいえど、まだまだ技術的なハードルは高く、アカウントの作成からDCCツールの基本的な使用方法や、前提となるインターネットリテラシーまたは文化への理解が必要となり、それらを勉強し実践する障壁はかなり高いと言える。そのことから、あくまでも、現状メタバースやVTuberについては、前提知識や最低限の機材を所持する者や、特に経済的余裕がある者の趣味として、自己実現を叶える要素もあるという具合である。現状、仮想の身体の実装は、松葉杖のように国から社会保険として金銭的支援が行われるような自己実現ではなく、今後ともその立場は変わらないと予想できる。しかし、趣味の延長線上に、仮想の身体の選択は福祉としての機能を果たしていると考えられる。その一例として、車椅子を利用する方向けのスカートが存在する。これは車椅子や松葉杖のように保険は降りないだろう。しかし、車椅子利用の人々が、利用していない人のように、おしゃれをするための手立てとしてかなり有用であろう。こういった位置に、仮想の身体は位置づけられていると考える。

3.まとめ
 本稿では、乱暴ではあるが、メタバースとVTuberを中心に、仮想の身体は、現実の外見不可能性を代替しうるかについて検討した。この議題は、全体を敷衍すると身体やファッション、福祉、またインターネットの文化について広範囲な議題に渡り、さらに詳細な考察が必要である。また、メタバースやVRChat以前の3Dアバター選択や、キャラメイク、特に人間性と積極的に結びつくコミュニケーションであるMMORPGの影響や文化的土壌への考察が必要であると考える。
 VRChat、VTuberそれぞれの文化圏における流行と現実の結びつきや、細かい衣類の分類など、より深い分析が必要である。また、VTuberは個人が自己実現の手段として利用する場合もあるが、企業が営利目的で運営する場合もある。その際に、企業がグループなどとしてパッケージ化してビジネス的にビジュアルを構成するのは必然的であり、その場合、仮想の身体の要素を全てを能動的に選択肢しているとはいい難い。それ故、企業や時代に応じたブランディングを含めたより詳細なパターンを切り分けた分析のため、VTuber本人がどのようにそのアバターを手に入れたかのリサーチなど、より詳細な分類と検討が必要である。

参考文献
時岡良太(2023)メタバースにおける自己についての臨床心理学的考察
荻原祐二(2024)バーチャル YouTuber(VTuber)の名前と人間の名前の相違点―人名の持つ制約からの検討―
難波優輝(2018)バーチャルYouTuberの三つの身体:パーソン、ペルソナ、キャラクタ『ユリイカ』第50巻第9号117頁 青士社
リュドミラ・ブレディキナ(2022)要約「バ美肉――バーチャル・パフォーマンスの背後にあるもの。技術と日本演劇を通じたジェンダー規範への対抗」『現代思想』第50巻第11号56頁 青士社
長門祐介(2022)メタバースでアバターはいかにして充実した生を送りうるか『現代思想』第50巻第11号86頁 青士社
関正樹(2024)もう一つの居場所を求めて『臨床心理学』第24巻第4号463頁 金剛出版
岩下朋世(2020) キャラがリアルになるとき 青士社




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クリエイター然しない、カルチャー然しない
フィクションをスポイルする鑑賞態度